歴史の勉強

上野藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
分部光嘉 慶長3.7~慶長6.11
1598~1601
2.0  
分部光信 慶長6.11~元和5.8
1601~1619
2.0 近江大溝へ

伊勢の国人であった分部光嘉は秀吉に仕え、慶長2年(1597年)5月に伊勢国飯野、度会、一志郡内で5千石を得て伊勢上野城主となった。
翌慶長3年にさらに加増されて1万石となり大名となり、家康の推薦で秀吉の赤布衣衆となったという。
慶長5年(1600年)の関ヶ原役では東軍に属して会津征伐軍に加わったが、石田三成の挙兵で伊勢に帰国し、富田知信とともに安濃津城に籠城した。
安濃津城は西軍の攻撃で開城し、光嘉は知信とともに敗戦の責を負い高野山に入って謹慎した。戦後に安濃津城籠城戦の戦功で1万石を加増されて2万石となったが、籠城戦での傷が悪化し、慶長6年(1601年)11月に没した。
光嘉の跡を光信が継いだが、元和8年(1622年)に徳川頼宣が紀伊に入ると上野藩領も全て紀伊家領となるため上野藩は廃藩となり、光信は近江大溝に転封となった。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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