歴史の勉強

久居藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
藤堂高通 寛文9.9~元禄10.8
1669~1697
5.0 寛文9(1669)新封
藤堂高堅 元禄10.10~正徳5.6
1697~1715
5.3 高堅自領3千石を合わせて相続
藤堂高陳 正徳5.8~享保8.9
1715~1723
5.3  
藤堂高治 享保8.9~享保13.6
1723~1728
5.3 津藩六代を継ぐ
藤堂高豊 享保13.6~享保20.9
1728~1735
5.3 津藩七代を継ぐ(高朗と改名)
藤堂高雅 享保20.10~宝暦12.9
1735~1762
5.3  
藤堂高敦 宝暦12.11~明和7.閏6
1762~1770
5.3 津藩九代を継ぐ(高嶷と改名)
藤堂高朶 明和7.9~安永4.12
1770~1775
5.3  
藤堂高興 安永4.12~安永6.3
1775~1777
5.3  
藤堂高衡 安永6.6~天明元.10
1777~1781
5.3  
藤堂高矗 天明元.12~寛政2.9
1781~1790
5.3  
藤堂高兌 寛政2.10~文化3.10
1790~1806
5.3 津藩十代を継ぐ
藤堂高邁 文化3.12~文政元.12
1806~1818
5.3  
藤堂高秭 文政元.12~天保3.3
1818~1832
5.3  
藤堂高聴 天保3.3~文久3.8
1832~1863
5.3  
藤堂高邦 文久3.10~
1863~
5.3  

津藩の支藩である久居藩は、津藩二代高次が高久に家督を譲る際に、二男高通に5万石を分与して立藩した。これは宗家が無嗣の場合に家系が絶える危険を回避するためのもので、ほかの大藩でもよく見られた。
久居藩の場合は独立した領地を持ち参勤もしたが、あくまで津藩の内高として扱われた。公儀から一志郡内に城地を設けることを許されて、野辺村付近に城下を建設することにし、「永久に鎮居する」という意を込め久居と命名した。
宗家に子がない場合は久居藩から津藩主になる場合が多く見られる。
なお久居藩二代高堅は、初代高通の弟で3千石を領していたが、久居藩主として兄高通を継いだ際に自領を合わせて相続したため5万3千石となった。

参考文献:日本歴史叢書・津藩(吉川弘文館)、江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、新編物語藩史(新人物往来社)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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