歴史の勉強

矢橋(八橋)藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
市橋長勝 慶長15~元和2.8
1610~1616
2.1 美濃今尾より
越後三条へ

関ヶ原の役後、伯耆一国は中村一忠に与えられ米子藩が立藩されたが、一忠は慶長14年(1609年)にわずか20歳で没し、嗣子がなかったために除封された。
翌慶長5年伯耆国矢橋に美濃今尾から市橋長勝が2万1千石で入り矢橋藩を立藩した。長勝は城下町の建設に取り組んだというが、大坂の陣の功により元和2年、越後三条へ加増転封となり、矢橋藩はわずか6年で廃藩となった。長勝は転封直前に矢橋を八橋と改称している。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、新編物語藩史(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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