歴史の勉強

鹿島藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
鍋島忠茂 慶長14~寛永元.8
1609~1624
2.5  
鍋島正茂 寛永元~寛永19
1624~1642
2.5 旗本へ
鍋島直朝 寛永19~寛文12.12
1642~1672
2.0  
鍋島直条 寛文12.12~宝永2.4
1672~1705
2.0  
鍋島直堅 宝永2.6~享保12.12
1705~1727
2.0  
鍋島直郷 享保13.11~宝暦13.5
1728~1763
2.0  
鍋島直熈 宝暦13.5~明和7.7
1763~1770
2.0 佐賀藩八代を継ぐ(治茂と改名)
鍋島直宜 明和7.11~享和元.4
1770~1801
2.0  
鍋島直彜 享和元.4~文政3.2
1801~1820
2.0  
鍋島直永 文政3.2~天保10.6
1820~1839
2.0  
鍋島直晴 天保10.6~天保10.8
1839~1839
2.0  
鍋島直賢 天保11.5~嘉永元.9
1840~1848
2.0  
鍋島直彬 嘉永元.9~
1848~
2.0  

鍋島直茂の二男忠茂は関ヶ原役後に人質として江戸に上り、その後二代将軍徳川秀忠に近習として仕えた。秀忠より下総矢作5千石を賜り旗本となったが病を得て佐賀に戻った。
慶長14年(1609年)佐賀藩初代勝茂は忠茂の長年の功に報いるために2万石を分与し、ここに下総の領地とあわせ2万5千石の鹿島藩が成立した。
忠茂の跡を正茂が継ぐが、このときに勝茂の九男の直朝を強引に養子に入れたことから、政茂と勝茂の間が不和となり、正茂は下総矢作5千石を継いで旗本になり、鹿島藩は2万石となって直朝の系統が継承した。

領地は藤津郡のうちで、小城藩、蓮池藩とともに三支藩として佐賀藩の藩塀となったが、のちには本藩との間に軋轢が生じることも多かった。
三支藩は寛永年間より参勤交代し、馳走役や普請役など幕府公役も負担していたが本藩の内分与であり、したがって将軍から知行の範持つも判物も受けなかった。
また三藩とも本藩から財政支援を受けており、本藩の財政難が深刻になると却って本藩の重荷となった。
文政2年(1819年)に九代藩主直彜は本藩から直永を養子に迎え、翌文政3年に隠居するが、本藩九代藩主斉直はこのとき鹿島藩を廃藩として本藩に吸収しようとした。
支藩への財政援助の負担減を企図したものであったが、さすがに三支藩が一致団結して反対したために頓挫した。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、新編物語藩史(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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