歴史の勉強

北条藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
佐久間勝之 ?~?
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1.0  
堀田正英 天和2.2~元禄元.7
1682~1688
1.3 除封

佐久間勝之は佐久間盛次の四男で、盛次が賤ヶ岳の戦いで滅亡すると佐々成政に養われた。天正13年に成政が豊臣秀吉に降伏すると小田原の北条氏に仕え、北条氏滅亡後は秀吉により助けられて蒲生氏郷に付された。
氏郷没後は秀吉の直臣となり、秀吉没後は家康に仕え関ヶ原で戦功を挙げて2千石加増、1万石を超えて常陸北条で大名に列した。また徳川実記では元和元年に大名となったとする。
大坂の陣でも戦功を挙げて加増され所領は1万8千石となり、信濃長沼または近江山路を居所としたという。

慶安4年(1651年)に将軍家光が死去し、寵臣堀田正盛が家光に殉死した。正盛の四男正英は遺領のうち常陸国新治、真壁、信太3郡内の新田5千万石を分与された。
正英は延宝8年(1680年)に3千石、天和2年(1682年)に5千石を加増されて都合1万3千石となり、常陸北条に陣屋を置いて北条藩を立藩した。
正英は元禄元年(1688年)に死去したが、その遺言には封地を二男正矩と三男正章に分与することを願っていたものの、長男正親については何の記載もなかった。
そのために加増分8千石は収公され、残り5千石は正矩に3千石、正章に2千石と分与された。これにより北条藩は廃藩となった。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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