歴史の勉強

沢海藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
溝口善勝 慶長15〜寛永11.5
1610〜1634
1.4  
溝口政勝 寛永11.5〜寛文10.1
1634〜1670
1.4→1.0(分知)  
溝口政良 寛文10.3〜天和3.6
1670〜1683
1.0  
溝口政親 天和3.8〜貞享3
1683〜1686
1.0 改易

新発田藩初代溝口秀勝は、慶長6年(1601年)二男善勝に5千石を分与した。善勝は父秀勝とともに家康・秀忠に仕え、慶長14年(1609年)に秀忠から上野国甘楽郡内で2千石を与えられ、その所領は7千石となった。
慶長15年(1610年)に秀勝が死去すると、善勝は新発田藩二代藩主で兄の宣勝に5千石を還付したが、宣勝から改めて1万2千石が分与された。これは将軍秀忠の意向によるものといわれるが、善勝の所領は1万4千石となり、蒲原郡沢海に陣屋を置いて、ここに沢海藩が成立した。
現在の新潟県中蒲原郡横越町、阿賀野川と小阿賀野川が合流する付近である。善勝が死去すると、その子政勝が封を継いだが、このとき弟助勝に3千石と直勝に1千石を分与した。
政勝-政良と封を継いだが、政良に子がなく親戚(政良の正室の実家)の近江水口藩主加藤明友の二男政親を養子として四代藩主とした。
ところが政親は酒狂で、それがもとで重臣間の騒動となり、藩主押し込めにまで至ったという。このことが政親の実家加藤家に聞こえ、加藤家当主明英の願いにより政親は改易となった。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、御家騒動の研究(清文社)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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