歴史の勉強

大山藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
酒井忠解 正保4.12〜寛文8.11
1647〜1668
1.0 無嗣除封

出羽庄内藩主酒井忠勝の七男忠解は、忠勝の遺言によって新田1万石を分与された。このとき忠解はわずか5歳で、大山に陣屋を構え大山藩が立藩された。
しかし寛文8年(1668年)に忠解は26歳の若さで死去し、子がなかったために無嗣除封となり領地は収公された。
大山の地は天領となったが、弘化元年(1844年)に庄内藩の預り地となることになり、このとき大山の住人たちは引続き天領を望んで一揆を起こた。
代表は江戸に上って勘定奉行や老中や駕籠訴したが、酒井家でも手を打っていて、結局は農民側の敗北に終わり、獄門、遠島、追放など処分者は3千人以上にのぼった。これを大山騒動という。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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