歴史の勉強

東蓮寺(直方)藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
黒田高政 元和9.10~寛永16.11
1623~1639
4.0  
黒田之勝 寛永17.3~寛文3.7
1640~1663
4.0  
黒田長寛 寛文3.10~延宝5.2
1663~1677
4.0 延宝3.10直方藩と改称
福岡藩四代を継ぐ(綱政と改名)
黒田長清 元禄元.12~享保5.2
1688~1720
5.0  

関ヶ原役の功によって筑前一国を与えられた黒田長政は、元和9年(1623年)8月4日に死去し嫡子忠之が家督を継いだが、この時に長政の遺言により忠之の弟長興に秋月5万石、同高政に東蓮寺4万石を分与し、ここに東蓮寺藩が成立した。
高政は寛永15年(1638年)に島原の乱に出陣して功をあげるが、翌寛永16年(1639年)11月に28歳の若さで死去し、その跡を之勝-長寛と継いだが、いずれも本藩からの養子であった。
三代長寛は延宝3年(1675年)10月に東蓮寺の地名を直方と改め、藩名も直方藩となった。長寛はその1年半後の延宝5年(1677年)2月、本藩の世子綱之廃嫡に伴って、本藩主光之の世子となり、これにより直方(東蓮寺)藩は廃藩となって、その石高4万石は本藩に還付された。

元禄元年(1688年)12月になって、綱政と改名した長寛が本藩四代藩主となったときに、その弟長清に鞍手郡内の新田5万石を分与し、長清は直方に居を置いたため、再び直方藩が成立した。
長清の子の菊千代は本藩五代藩主宣政の養嗣子となった。宣政は病弱であったために、長崎警備は長清が代って行い、本藩宣政の後見役を勤めた。
宣政が死去すると菊千代は本藩六代藩主継高となったが、長清はほかに子がなかったために、享保5年(1720年)2月23日に長清が54歳で没すると直方藩は廃藩となった。これにより5万石は本藩に収公されたが、新田であったために本藩の石高は変らなかった。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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