歴史の勉強

名島藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
小早川秀秋 文禄4.12~慶長5.10
1595~1600
35.7 備前岡山へ

豊臣秀吉の五大老の一人であった小早川隆景は、四国征伐の功績などで筑前、筑後、肥後などで合せて33万6千石を与えられ、筑前国糟屋郡名島に城を築いた。
隆景は文禄3年(1594年)に秀吉の甥の秀秋を養嗣子とし、翌文禄4年に秀秋に家督を譲った。
秀秋は慶長の役で総大将として朝鮮に渡ったが、蔚山の戦いで軽挙があり秀吉の不興を買って越前北の庄への転封が命じられるが、家康の助言と秀吉の死去により、結局移封は実行されなかった。
慶長5年(1600年)の関ヶ原役の際に秀秋は西軍に与したが、黒田長政らの工作で東軍に寝返った。この寝返りによって東軍は関ヶ原役で大勝利し、戦後その功績により備前岡山51万石を与えられた。
筑前には黒田長政が50万石で中津から入ったが、長政は名島の地勢を嫌い、新たに那珂郡敬固村近くの福崎に新城(福岡城)を築いたために名島藩は廃藩となった。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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