歴史の勉強

三次藩

藩主 在任 石高(万石) 特記
浅野長治 寛永9.10~延宝3.1
1632~1675
5.0 寛永9(1632)新封
浅野長照 延宝3.3~元禄4.12
1675~1701
5.0  
浅野長澄 元禄4.12~享保3.8
1701~1718
5.0  
浅野長経 享保3.10~享保4.4
1718~1719
5.0  
浅野長寔 享保4.10~享保5.5
1719~1720
5.0 無嗣断絶

三次藩祖である浅野長治は、浅野宗家三代の長晟の庶長子であった。長晟の正室は徳川家康の三女振姫であり、その子の光晟が長晟の嫡子となり、その後宗家を継いだ。
その際長晟の遺志ならびに将軍家のお声掛りによって長治に三次5万石を分知して、広島藩の分家を立てた。これが三次藩である。
備後三次に陣屋を構えたが、領内を度々水害が襲い、そのうえ公役の負担が多く財政が逼迫し、貞享3年(1686年)には人員整理の一環として藩士の一部を広島藩に預けることまで行なっている。
三代長澄のころには財政難に対して藩政改革を実施したが、年貢率の実質引き上げなどに対して農民の反発が強く一揆が起きた。
四代長経はわずか10歳で封を継いだが、わずか半年で死去し、嗣子なく領地は本藩に収公された。その後広島藩主吉長は長経の弟長寔に非公式に三次藩領を継がせて、五代藩主とした。
将軍への謁見のために享保5年(1720年)に江戸に入ったが、急病により同年5月21日わずか8歳で死去する。これによって三次藩は廃絶、藩士は本藩に移った。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、新編物語藩史(新人物往来社)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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