歴史の勉強

住吉藩

藩主 在任 石高(万石)
赤松則房 天正13~慶長3.7
1585~1598
1.0

阿波住吉藩は室町幕府四職の一で、嘉吉の乱によって足利六代将軍義教を誅した赤松家の嫡流則房が、豊臣秀吉の四国征伐の際に功あって板野郡内23ヶ村を得、同郡住吉に城を築いたのが始まりである。
則房は置塩殿と呼ばれたが、関ヶ原役の少し前の慶長3年7月に則房は嗣子なくして没し、蜂須賀領に編入された。蜂須賀家政は細山帯刀(のちの加島政慶)を則房の養子として、帯刀は蜂須賀家家老として1万石を領して明治維新まで続いた。

赤松記では以上の通りであるが、蜂須賀家記などでは帯刀と則房の養子縁組が先で、この養子縁組によって御家騒動がおき、その渦中で則房が死去したとしているそうだ。
また則房は養子に則英を迎えたとする説もあり、この説では則房は阿波を退きのちに則英を養子としてとするものと、則房と則英は同一人とする説がある。
いずれにしても住吉藩は関ヶ原前に廃され、住吉城も元和元年(1615年)の一国一城令によって破却された。

参考文献:江戸三百藩主人名事典(新人物往来社)、藩と城下町の事典(東京堂出版)、歴史読本・歴史と旅各誌、関連ホームページ
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